とろとろ桃のフルーニュ腐りかけ

商業BLの感想とか色々

【やたもも】そんな気ないのに結局は愛が救ってる

 さて商業BL漫画、はらだ先生の『やたもも』を買って一気読みしました。

 以下感想をば。

  はらだ先生は天才なのではないか?

 

 読み終わって真っ先に思ったのがこれでした。モモは生活力ゼロで、騙されて三人がかりでセックスされても平気そうな顔をしてて、今までヒモやってたりウリやってたり、読み進めるとわかるけど母親がクズで子供の頃から男娼みたいな生活をしていたことがほのめかされたりします。そこに出会ったのが八田という男で、彼は捨て猫のようなモモに同情して上着を貸してやって住所を書いた紙を渡すんですね。それで早速泊めてくれとのこのこ、おそらくは今までやってきたように赤の他人の部屋に上がり込んだモモを待っていたのは絶倫八田の激しいセックスだったわけです。

 おいおい結局やるんかい!その子はめられて乱交させられてたようなもんなのにそんなに激しくやっちゃうの?と思ったんですが、すべて読み切ってから考えてみると八田の絶倫設定ってすっごい大事なんですよ。もし八田が特に性欲の強くない男で、プラトニックな愛を貫こう、今までモモは傷付いてきただろうから体の関係なしで愛そうなんてしたら多分二人の関係は崩壊してたと思うんです。きっとモモはそんな関係に居心地悪くなるんじゃないかと。あるいは同情されることで感覚が鈍磨している故にあまり気にしていなかった自分の悲惨さを思い知らされてしまうんじゃないでしょうか。愛し方を間違えてずたずたに傷付ける展開にもなりえたのに、八田の「やることは(やりすぎるほど)やってる」って事実がそれを避けたんですね。

 きれいごとじゃないって思いました。なんだろうこのリアリティ。街のどっかに八田もモモも生きてて、モモが世話焼かれたり八田の絶倫っぷりに根をあげそうになりつつも相手してあげたりしながら暮らしてる気がする。須田についてはあんまり言及しませんが(彼の歪みよりもやっぱりモモと八田に興味がいったので)、モモが彼の元から逃げたのは須田の異常性癖とか性格の悪さよりやっぱり奥さんとなった女性の存在が大きいよなぁ。目の前で泣く女性の、涙の原因が自分だというのはモモにとってつらかったんでしょう。モモはクズだけど優しいんだと思います。弱くて優しくて、でもひどい育ちでも適応してやってきたんだからこの上なく強くて。アンバランスで不思議な魅力があるモモに、読み終わってからもすごく惹かれています。

 はらだ先生はきっと本当の愛とか救済とか、そんな陳腐なものを描きたかったわけではないと思います。でも結局はモモは八田の愛に救われてる。捨て猫だったモモが、人として生きてる。その描き方が鮮やかで、まっすぐで、正直で胸がすっとする。やたもも、すごくいいです。おすすめ。